七転び八起??お店の歴史
| 起その一 |
昭和44年11月11日 | 久津の葉創業 小倉北区京町「銀鍋横町」内にオープン 元寿司屋さんで、大きな水槽があり、自宅に持帰って熱帯魚用水槽として活躍 した。 創業者:大島葉子(私:大島治の母です) 出身地?門司区葛葉(くずは)の名前と、大島葉子・前田千津子の姉妹で始めたのでその名前の一文字をとって、久津の葉と命名 |
| 転その一 | 昭和45年5月 | 火災のため店を失う。
(私のまだ幼い頃の話で詳しくは知りませんが)火災保険に入ろうとした前 日だったそうで、何も残らなかったそうです。 |
| 起その二 | 同7月 | 京町 現在の「ミンミン」の裏あたりに移転開業。
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| 転その二 | ただ立地に多少難あり(裏風俗店の多い所なので、お客さんが来店しにくい) のため、移転を考える | |
| 起その三 | 同12月 | 小倉北区米町「大阪町会館」(現在ワシントンホテル横の駐車場)に移転。 当時珍しかった「カラオケ設備」をおき、固定客を増やした。このころからの お客様が今でも多数店を支えてくれている。このころの話をすると「トイレの立派なお店」というのが一番にでてくる。元はワンフロアの大きな店だったのを小分けして作り直していたので、店は小さいが、トイレはでかい。お店の収容人数は20人程度なのに、トイレはボックス(女性用)2つ、男性用3つ、おまけに大理石の手洗が二つもあった。 |
| 転その三 | 大阪町会館取壊しのため立ち退き | |
| 起その四 | 昭和58年 | 京町(現在の小倉伊勢丹裏の道路あたり)に移転オープン 2階建ての元焼肉屋さん 焼肉用の器具がたくさんおいてあった。 |
| 転その四 | 平成元年 | 駅前再開発(そごう建設)のためやむなく立退き |
| 起その五 | 平成元年7月 | 魚町一丁目(現在一欄駐車場)に移転
翌平成2年正月より私(大島治)も家業を手伝うようになったのでした 世の中はバブルの時代。毎年順調に売上を伸していった。 「会社に請求しといて」というお客さんたち。毎日接待のため予約が入らない日はなかった。 |
| 転番外 平成7年2月 |
創業者(私の母)大島葉子が脳内出血で入院。比較的軽く済ん
だが、今でも左半身のしびれは残っているようだ。 この日、夜から急激な大雪。ほんの10分の間に一気に積雪。こんな雪を見 たのはあの日が最初で最後だ。なにか不思議な記憶 |
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| 転その五 | 平成8年3月1日 | 魚町一帯を襲った大火で、店を消失。 3月1日朝、義姉からの電話「あんたの店の辺りが火事ってニュースでいって るけど大丈夫?」テレビをつけてみると、銀天街の火事の映像・・・ここはどこ だ、と眠い目をこすりながら見ていると、「湖月堂」が燃えている。うちの店と 湖月堂は背中合せ。「ああ!」と思ったところにとどめの映像。「焼鳥はっちゃ ん」が焼け落ちてゆく。うちははっちゃんのとなり あわてて妻とタクシーに乗り店へ・・・「とにかく小倉駅方面へ」と告げる と「あの辺は車が近づけませんよお。すごい火事があってるんですよ。あの辺の 店の人は大変ですよねえ。」・・・殴ってやろうかと思った。(おもっただけよ ) やはり店が燃えている。母に電話。その後、従業員も集ってくるが、いつまで たっても母の姿がない。探し回ってもいない。探し続けているうちに、人混みの 影でうずくまっている母を発見。ショックが大きかったのでしょう |
| 起その六 | 同年5月 | 鍛冶町1丁目「山内パークアベニュー」に移転オープン
小さな店だったけど、場所柄、高くてもちょっと珍しいものや新メニューが人気だった。 今でも人気の「たこの薄造り」「チキン南蛮サラダ」「くじら の竜田揚げ」も、ここで生れた。 |
| 転その六 | 平成九年正月 | 母がいきなり、「京町にいい店がある。そこに移ろう」といいだした。 初夢にでてきたらしい。 その後、オーナーや銀行などと交渉が長引く |
| 起その七 | 平成9年10月 | 京町銀天街に新店舗オープン とはいっても、前のお店(一味庵)の後にそのまま入って、店内改装もなにもなし 調理場はとても広いのだけれども、一階の客席はとても少ないので、ほとんど二階席 お客様と直接会話することが減ってしまった。 |
| 平成10年11月 | 創立三十周年記念パーティー なんだかんだとあっても三十年目を迎えました。 |
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| 平成10年12月 | ネットビジネス参入 ふぐの宅配ページを作ってみました。注文も結構(本人が思った以上に)入って、とどいたお客様からも喜びのメールをいただきました。 |
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| 平成11年1月 | 弁当・仕出しも開始 こんなご時世ですから、毎晩のように一杯呑んで帰る方もすっかり減ったし、持ち帰りとご近所配達のみでスタート |
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| 平成12年4月 | 京町どっと混む(kyomachi.com)スタート ドットcomがとれるようになって、「kuzunoha.com」にしようか『kyomachi.com』にしようかとしばらく悩んだが、どうせ、久津の葉だけの情報で25Mは使わないなと思って「京町銀天街」の情報発信にできればとおもって・・・ |
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| 平成13年10月 | 京町どっと混む(kyomachi.com)京町公式ページに? 京町.comを「京町銀天街」の公式?ページとして、それまでのごく個人的なものから京町紹介サイトにした。 |
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| 平成13年12月 | 久津の葉.com(kuzunoha.com)オープン 京町.comが「京町銀天街」の公式ページとなったので、個人的なものはこちらへ変更した。 |
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| 転その七 | 平成15年4月 | 大きすぎるお店は自分たちには合っていないと実感したころ、 「ここを単身者向けのマンションにしたい。」という人が。 「ついてはすぐに出て行ってくれ」と |
| 起その七 | 平成15年6月 | よい移転先を探し続けて、しかし、多少のことはあきらめて移転先を決めようとしたとき、ここ「室町」にちょうど空き店舗ができたことを知り、即、入居 「店舗つき住宅」で、以前より住環境は格段にアップ。 客席は激減したものの、2人でやっていくにはちょうどいい!!大満足 |
| 平成15年秋 | 「関門海峡たこ」との出会い 勝山橋の上で北九州特産品のPRがあるというので、その準備を手伝うことになった。といっても、野菜を切ったり、たこのぶつ切りをするだけだったが、そのときに、平松漁協の組合長と出会い、いつでも新鮮なたこを漁協で買えることを知った。(まだそのときは、「海峡たこ」の名前はついていなかった。) |
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| 平成16年秋 | 「テレビでの紹介」 この年の3月ごろから本格的に平松漁協の蛸料理を作り始めていた。 タイミングよく、このたこを新しい北九州ブランドとして売り出そうと、市や、漁協で、イベントを仕掛け、その波に乗って、たこ料理の売上を伸ばし始めた。 第1回「北九州たこフェア」に、参加し、「探検九州(RKB)」や、ローカルニュースの中でも、お店が紹介されて、「久津の葉」=「たこ」のイメージができ始めた。 |
・・ということで、ようやく「七転び八起き」の歴史に終止符!
室町移転から約3年「kuzunoha.com」これからもよろしく